小学校での英語教科化反対

私は小学校で英語を学ばせることに反対派です。

特に、現在の小学校では、英語が教科化されています。

今までのような「慣れ親しむ」から大きく舵を切り、

中学1年生で勉強する量・質をそのまま小学校に引き下げるイメージです。

 

私が反対なのは以下の理由です。

 

①まずは国語を。

 外国語を学ぶ前に、母語を固めるべきです。

 「べき」というとどうしても価値観の押し付けに聞こえるかもしれませんが、

 外国語習得の研究が進んでおり、外国語を外国語として相対化できるのは、

 おおよそ13歳くらいからだそうです。

 

②中学からで問題ない 

 「早くから始めた方が習得が早い」というイメージがありますが、

 中学校からでも問題ないという結果が出ています。

 早く始めさせるより、国語算数理科社会の主要教科をどれだけ習得しているか、

 つまりは学習習慣が身に付いているかどうかの方が、

 英語習得には大切です。

 

③英語一辺倒の社会風潮への危惧

 ①と②は私が読んできた書籍の内容をざっくり書いただけですが、

 この③は、私の経験値ベースになります。

 私は自分の経験に依拠することはあまり書きたくない人間ですが、

 このことはどうしても常に感じているので、今回この記事で書くことにしました。

 

 この英語熱がヒートアップする昨今、

 「外国=英語圏」「外国語=英語」という固定観念が非常に強く中学生・高校生に

 根付いていると感じます。

 

 英検準2級以上だとそれなりの英作文のテーマを与えられます。

 また、2次試験(面接)のお題でも、外国語系のテーマを聞かれます。

 その中の常連のテーマに、「外国に留学することはいいことか」「外国語を勉強する

 ことは必要か」といったものがあります。

 

 半数近くの生徒がそのような問題に対して、「英語は国際共通語」「英語を話せれ

 ばコミュニケーションの幅が広がる」といったことを答えに書いてきます。

 本当に半数近くの生徒がそう書きます。

 

 私が非常に危惧しているのはこの点で、

 設問にはあくまでも「外国」「外国語」としか書かれていないのに

 生徒は「英語」「英語圏」といったことを答えに書いてきます。

 

 英語はあくまでも無数にある言語の中の一つにしか過ぎません。

 また、英語が国際的に使われるようになっているのは、

 米英の植民の歴史と深く関わっています。

 

 植民地について断罪しているわけでもありませんし、

 右翼団体のように日本を礼賛する気もありません。

 

 ただ、無数にある言語の中で英語を絶対視する風潮に違和感を非常に感じています。

 

 現在、ロシアがウクライナに侵攻して1年以上経ちますが、

 ロシア・ウクライナ戦争についての情報を集めようとしたら、

 必要なのは英語ではなくてロシア語・ウクライナ語であるはずです。

 

 断っておきますが、ロシア語を勉強させろという意味ではありません。

 英語一辺倒の世の中で英語以外の言語に興味を持つ可能性が低くなっているのではな

 いか。

 そのことに問題意識を持っています。

 

 「外国語=英語」という感覚は言語の多様性を否定することになりますし、

 政治経済のようなハードパワーの面からも、危うい傾向だと考えています。

 

 繰り返しますが、英語は数多くある言語の中の1つです。

 そのことを認識せずに無批判に受け入れるものではないはずなのです。