リーマンショックの時と比べて

リーマンショックと比較されることが多いコロナ禍ですが、

「精神論だけではどうにもならない」ということが

共通認識になりつつあるのは、まだ不幸中の幸いだとは思います・・・。

(自粛警察などの困ったさんはいますが)

 

リーマンショック以降のデフレの時代、

ブラック企業が流行語になるくらい、社会問題になっていました。

 

「社員はやりがいを追求し、お客様の幸せは自分の幸せだと思う」ことが

美徳とされ、利益を追求することは悪という風潮がありました。

 

その当時、大学生ながら、

ワケのわからん言説が流布されていると感じていたものです。

 

それらのポエムのようなお題目は、

単に労働者が使い捨てられている現実を正当化するものにしか過ぎません。

というか、自分の生活がままならないのに、

心の豊かさなど享受できるわけないでしょ。

 

コロナの自粛要請に従わないお店が結構あるみたいですが、

私はそれらは当然の反応だと思います。

 

 

自粛警察が「心が痛まないのか」という非難をしていて、

それに対して取材に応じた経営者は、

「痛まないわけはない。それでも社員の生活に責任を持つというのはどういうことか、

思いを馳せてほしい」と心情を吐露していました。

 

 

率直に言って、経営者としては正しいと思います。

 

また、マスコミも、

Go To を続ければ「感染症対策がどうのこうの」、

Go Toをやめれば「経済がどうのこうの」。

何なのでしょうか。

しかも、同じ新聞社がこのような記事を出している始末です。

 

「経済がやられると自殺者が増える」という認識が広がっているのはまだ救いようはあ

りますが・・・(リーマンショックの時は、富の再分配ばかりが取り上げれていて、マク

ロ経済からの視点は皆無でした)。

 

社会認識が変わってきただけでも、少しは社会が前進していると思いたいものです。