『誰が国語力を殺すのか』(石井光太)

この人、貧困や殺人事件などの社会問題をノンフィクションという形で

出版することが多いですが、

今回は教育という観点でのもの。

内容もノンフィクションではなく、岩波新書のようなアカデミックなものです。

 

結論から言うと、

このタイトルに対する回答としては、「家庭」が国語力を殺すになります。

 

文科省の役人たちは、恵まれた環境で育ち、

教員という実務も経験していない中で政策を決めていきます。

 

で、この書籍が問題にしているのは、

そもそも学習する習慣が損なわれた層(虐待などの普通ではない家庭)です。

 

で、以下は私の私見ですので、本文には全く関係ありません。

その上でお読みください。

 

この書籍で子供や家庭の質の変化が見られる年代として、バブル崩壊後が上げられま

す。インターネットやスマホの普及、共働きによる親子間のコミュニケーション量の

低下が述べられていました。

 

SNS関連の事件はバブル崩壊後から現在に至るまで、あまり変わっていない現象です

が、共働きや失業などの家庭内の問題は、経済成長と関連しているように思えてなりま

せん。

 

バブル崩壊後は一時の例外はあっても、年代によってはデフレ経済でした。

成長しても低成長。

「共働きは、夫の収入が頭打ちになり、それを補填するために妻が働きに出た」という

解釈の方が正しいはずです。

 

昨今もアベノミクスの下、女性の社会進出が話題に上がることがありますが、

現在の社会進出は好景気の下、女性もキャリアを選択するという積極的な進出のはず

で、デフレ下の共働きとは意味が異なるのではないでしょうか。

 

人間、自分の収入が上がらなかったり、いつ首を切られるか分からない状況では、

心は荒むものです。

 

脱成長は言葉としては美しいですが、現実問題としては、限りなく残酷です。

経済のパイが増えないのなら、自分が頑張った分は他のところから分捕っていますし、

他の人が頑張れば自分の取り分が脅かされる。

全体が一定というのはそういうことです。足の引っ張り合いにしかなりません。

 

経済成長でも解決できないエリアはありますが、

経済成長さえあれば本来起こりえない社会問題が噴出するのも事実です。

 

で、本書の内容に戻りますが、

日本では教育に掛ける公的予算比率が諸外国に比べて少ないです。

(本書のデータだと最下位)

 

恵まれ、均一な環境で育った文科省の方にも、ルポとして読んで欲しいものになりま

す。

 

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