生徒に文法を教えるとき、文学作品の翻訳を一例にしたら、
食いつきが少しよくなりました。
以下は実際に授業で話したことです。
①雪国(川端康成)
「英語は必ず主語と書かなければならない」ということが意外と難しい。
『雪国』の最初の一文。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」
どうやって英語に直しますか?主語は誰でしょうか。
筆者でしょうか。それとも汽車にのっていた乗客でしょうか。
サイデンステッカーという日本文学の翻訳者(結構有名)は、汽車を主語として訳して
いました。
高校生はテストのために文法を学んでいますが、翻訳レベルでもかなり至難の業にな
ります。
②ふるいけや かわずとびこむ みずのおと
かわずとはカエルのことですが、何匹を想定しますか。
カエル可算名詞ですので、a をつけるか複数形にします。
生徒に聞いてみたところ、私の生徒は全員、「カエルは1匹でしょ」とのこと。
で、それはあくまでも、日本にずっと住んでいて、俳句の情景がすぐにピンとくるか
らでしょう。理屈ではないところの感性に近いものがあります。
こういった感覚的なもの、感性に通ずるものは、外国の人が学ぶのに一番苦労する
箇所になります。
仮にここを複数形にすると、カエルは何匹もいて、何匹ものカエルが跳びこんでいる
ことになります。正直、日本庭園でカエルが複数匹、ゲロゲロしてポチャポチャ水に
飛び込んでいるところを想像すると、あまり風流な感じがしなくなるのではないでし
ょうか。
この2つ、生徒に言ったら、
①はなるほどと関心。②はケラケラ笑っていました。
敬遠されがちな文法にも、趣深さを感じられれば、学習の取り組み方もかわるのでは
ないでしょうか。