「ウィズコロナ」に感じる違和感

コロナが蔓延してから約1年が経ち、

「コロナを見据えた働き方」「ウィズコロナ」などの単語を日常的に目にしますが、

結構違和感があります。

 

評論家の中には、

 「人類は昔からウイルスと戦った歴史がある」

 「ウイルスと共存を」

的なことを口にする人もいますが、

今回のコロナは、正直、人災に近いところがあると思います。

 

発信源である中国政府の初動の遅さや

情報隠蔽、そして厚顔無恥なまでのマスク外交など、

明らかに人災です。

 

「ウイルスと共存を」「ウィズコロナ」などのフレーズからは、

人間は自然と共に生きてきた、自然に逆らうことはできない、

といった運命論的なものを感じます。

また、我々にそれを

人類の宿命として受け入れることを求めているようにも感じます。

 

また、中国政府を非難すると、

一部のインテリや評論家は(私は絶対にそのような人たちを評論家と認める気はありませ

んが)、国際協調主義がどうたら、差別を助長するなどというお題目を述べます。

 

けれど、コロナは人災の部分がかなり大きいです。

生活や経済をここまでかき乱されています。

「ウィズコロナ」などは、単なる不条理にしか過ぎません。

 

ウイルスと戦うのは人類史上何回もあったというのは、

確かにその通りですが、

発信源を調査することもなく唯々諾々と受け入れるのには違和感を持ちます。