急に書きたくなったので、
懐かしさも込めて書きます。
英語と日本語のニュアンスの差(文化の差?)は、
学習者の立場からすると勉強になりますが、
実際の通訳の現場ではどうでしょうか。
訳し方一つで外交問題になったケースもあります。
・1969年の佐藤・ニクソン会談。対米繊維輸出自主規制について佐藤首相が「善処します」と答えた。
・通訳が"I will do my best."と訳し、米国側は日本が積極的に動くと解釈した。
・交渉がこじれた。
日本語で「善処する」というと、ある種の決まり文句に近く、当たり障りなくやんわりと断るときに使います。なので、表現の本当の意味としては、"I will do within what I can do (できる範囲でやります)"くらいが妥当だと言われています。
*蛇足ですが、日本では通訳の社会的地位がそれほど保証されてはいませんでした。
(今でこそ専門職という認識が定着していますが)
翻訳をする人は「翻訳家」と言いますが、通訳をする人は「通訳」。
通訳という行いを「通訳」と言うし、それを行う人も「通訳」。
翻訳家のように「家」とつくことがなければ、弁護士のように「士」もつかない。
人も行いも同じ単語で言い表すのはその職業に対する敬意がないからだ、という評価です。
出典:『歴史を変えた誤訳』(新潮社)